伊能忠敬の年表|1745年生まれから1821年伊能図完成までを5期で読む

伊能忠敬の年表をひとめで

伊能忠敬の人生は74年あり、その間に 商人 → 学び直し → 全国測量 → 編集と上呈 と大きく方向を切り替えています。年号と数字だけを並べると見えにくくなるので、本ページでは5つの時期に分けて読む形式で整理します。

最初に全体年表、そのあと時期ごとの解説、最後に「何歳のとき何をした」の早見表を置きます。


完全年表

西暦 元号 年齢 出来事
1745 延享2 0 上総国山辺郡小関村(現・千葉県九十九里町)に生まれる
1762 宝暦12 17 下総国佐原(現・千葉県香取市)の伊能家へ婿養子に入る
1781 天明元 36 名主に任ぜられ、村役を務めながら家業を切り盛り
1783 天明3 38 天明の大飢饉。困窮者に米を分け与え、地域からの信用を得る
1794 寛政6 49 隠居の準備に入る
1795 寛政7 50 家督を養子・景敬に譲り、江戸へ出る。深川黒江町に住み、高橋至時に弟子入り
1800 寛政12 55 第一次測量(蝦夷地南岸)
1801 享和元 56 第二次測量(伊豆・東日本太平洋岸)
1802 享和2 57 第三次測量(東北日本海岸)
1803 享和3 58 第四次測量(東海・北陸)
1804 文化元 59 江戸で地図を上覧。以後、測量事業が幕府公式の仕事として認められる
1805 文化2 60 第五次測量(近畿・中国)
1808 文化5 63 第六次測量(四国)
1809 文化6 64 第七次測量(九州第一次)
1811 文化8 66 第八次測量(九州第二次)
1815 文化12 70 第九次測量(伊豆七島)
1816 文化13 71 第十次測量(江戸府内)。これで全国測量を終える
1818 文政元 73 江戸で死去。死は伏せられ、地図の完成作業は弟子たちが続行
1821 文政4 (没後3年) 大日本沿海輿地全図 が完成し、幕府へ上呈される

5期で読む伊能忠敬

第1期:商人時代(1745–1794、0歳〜49歳)

伊能忠敬の前半生は、測量家ではなく商人としての時間です。17歳で佐原の伊能家へ婿養子に入り、酒造を中心とした家業を立て直していきます。

佐原は利根川水運の中継地として栄えた商都で、江戸との往来も濃く、「江戸優り」とまで呼ばれた町でした。忠敬はそこで店を切り盛りし、名主としての村役も務め、天明の大飢饉では困窮者に米を分け与えるなど、地域からの信用を持った人物として49歳までを過ごします。

ここで大事なのは、忠敬が学者になる前にすでに「やり切った」人生を一度持っていたことです。50歳の転身は、何もない状態からの挑戦ではなく、成功した人がそれを置いて別の専門性へ向かった転身でした。

第2期:学び直し時代(1795–1799、50歳〜54歳)

1795年、50歳。家督を養子の景敬に譲り、忠敬は佐原を離れて江戸へ出ます。深川黒江町に住み、当時の幕府天文方であった高橋至時に弟子入りしました。至時は忠敬より19歳年下でしたが、忠敬はその下で本気で天文学・暦学・測量学を学びます。

この5年間は、表向き派手な事件はありません。けれどここで地球の大きさを知るための観測技術、緯度経度の取り方、測量の段取りといった、後の全国測量を支える知識と道具が組み上がっていきます。

第3期:全国測量時代(1800–1816、55歳〜71歳)

1800年、55歳。第一次測量として蝦夷地南岸へ出発します。この出発は、当初は個人の事業に近い形でしたが、1804年に江戸で地図を上覧して以降、測量は幕府公式の事業として認められていきます。

ここから1816年までの17年で、忠敬たちは全国を10次にわたって測量します。第一次・蝦夷地から、東日本太平洋岸、東北日本海岸、東海・北陸、近畿・中国、四国、九州(2回)、伊豆七島、最後に江戸府内まで。歩いた総距離は約4万km、地球一周分にほぼ匹敵します。

第4期:編集の時代(1816–1818、71歳〜73歳)

1816年に第十次測量を終えて、忠敬は江戸へ戻ります。残りの時間は、各回の測量記録を地図として編集する作業に充てられました。1818年、地図の完成を見ないまま、73歳で江戸で亡くなります。

第5期:弟子たちが完成させる時代(1818–1821、没後3年)

ここが伊能忠敬の物語の独特なところです。忠敬の死はしばらく伏せられ、弟子たちが地図の編集作業を続行します。1821年、忠敬の死から3年後、ついに 大日本沿海輿地全図 が完成し、幕府へ上呈されました。

つまり伊能図は、忠敬一人の作品ではなく、忠敬を中心にしながらも、最後は弟子たちが渡し切った仕事です。年表の終わり方として、これはかなり示唆的です。


何歳のとき何をしたか(早見表)

年齢 主な出来事
17歳 佐原の伊能家へ婿養子に入る
38歳 天明の大飢饉で困窮者に米を配る
50歳 家督を譲って江戸へ出る・高橋至時に弟子入り
55歳 第一次測量(蝦夷地南岸)
59歳 地図を江戸で上覧、幕府公式の事業に
71歳 第十次測量を終え全国測量完了
73歳 江戸で死去
(没後3年) 大日本沿海輿地全図が完成

よくある質問

伊能忠敬は何年生まれで何年に亡くなったの?

1745年(延享2年)に上総国山辺郡小関村で生まれ、1818年(文政元年)に江戸で亡くなりました。享年73です。

伊能忠敬は何歳で家業を譲ったの?

50歳(1795年)で家督を養子の景敬に譲り、佐原を離れて江戸へ出て、天文学者の高橋至時に弟子入りしました。

伊能忠敬は何歳で第一次測量に出たの?

55歳(1800年)です。蝦夷地の測量を皮切りに、その後17年で全国を10次にわたって測量することになります。

大日本沿海輿地全図はいつ完成したの?

1821年(文政4年)です。1818年に忠敬が亡くなったあと、弟子たちが作業を引き継ぎ、死後3年で幕府へ上呈されました。


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参考資料

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