伊能忠敬の年表をひとめで
伊能忠敬の人生は74年あり、その間に 商人 → 学び直し → 全国測量 → 編集と上呈 と大きく方向を切り替えています。年号と数字だけを並べると見えにくくなるので、本ページでは5つの時期に分けて読む形式で整理します。
最初に全体年表、そのあと時期ごとの解説、最後に「何歳のとき何をした」の早見表を置きます。
完全年表
| 西暦 | 元号 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|---|
| 1745 | 延享2 | 0 | 上総国山辺郡小関村(現・千葉県九十九里町)に生まれる |
| 1762 | 宝暦12 | 17 | 下総国佐原(現・千葉県香取市)の伊能家へ婿養子に入る |
| 1781 | 天明元 | 36 | 名主に任ぜられ、村役を務めながら家業を切り盛り |
| 1783 | 天明3 | 38 | 天明の大飢饉。困窮者に米を分け与え、地域からの信用を得る |
| 1794 | 寛政6 | 49 | 隠居の準備に入る |
| 1795 | 寛政7 | 50 | 家督を養子・景敬に譲り、江戸へ出る。深川黒江町に住み、高橋至時に弟子入り |
| 1800 | 寛政12 | 55 | 第一次測量(蝦夷地南岸) |
| 1801 | 享和元 | 56 | 第二次測量(伊豆・東日本太平洋岸) |
| 1802 | 享和2 | 57 | 第三次測量(東北日本海岸) |
| 1803 | 享和3 | 58 | 第四次測量(東海・北陸) |
| 1804 | 文化元 | 59 | 江戸で地図を上覧。以後、測量事業が幕府公式の仕事として認められる |
| 1805 | 文化2 | 60 | 第五次測量(近畿・中国) |
| 1808 | 文化5 | 63 | 第六次測量(四国) |
| 1809 | 文化6 | 64 | 第七次測量(九州第一次) |
| 1811 | 文化8 | 66 | 第八次測量(九州第二次) |
| 1815 | 文化12 | 70 | 第九次測量(伊豆七島) |
| 1816 | 文化13 | 71 | 第十次測量(江戸府内)。これで全国測量を終える |
| 1818 | 文政元 | 73 | 江戸で死去。死は伏せられ、地図の完成作業は弟子たちが続行 |
| 1821 | 文政4 | (没後3年) | 大日本沿海輿地全図 が完成し、幕府へ上呈される |
5期で読む伊能忠敬
第1期:商人時代(1745–1794、0歳〜49歳)
伊能忠敬の前半生は、測量家ではなく商人としての時間です。17歳で佐原の伊能家へ婿養子に入り、酒造を中心とした家業を立て直していきます。
佐原は利根川水運の中継地として栄えた商都で、江戸との往来も濃く、「江戸優り」とまで呼ばれた町でした。忠敬はそこで店を切り盛りし、名主としての村役も務め、天明の大飢饉では困窮者に米を分け与えるなど、地域からの信用を持った人物として49歳までを過ごします。
ここで大事なのは、忠敬が学者になる前にすでに「やり切った」人生を一度持っていたことです。50歳の転身は、何もない状態からの挑戦ではなく、成功した人がそれを置いて別の専門性へ向かった転身でした。
第2期:学び直し時代(1795–1799、50歳〜54歳)
1795年、50歳。家督を養子の景敬に譲り、忠敬は佐原を離れて江戸へ出ます。深川黒江町に住み、当時の幕府天文方であった高橋至時に弟子入りしました。至時は忠敬より19歳年下でしたが、忠敬はその下で本気で天文学・暦学・測量学を学びます。
この5年間は、表向き派手な事件はありません。けれどここで地球の大きさを知るための観測技術、緯度経度の取り方、測量の段取りといった、後の全国測量を支える知識と道具が組み上がっていきます。
第3期:全国測量時代(1800–1816、55歳〜71歳)
1800年、55歳。第一次測量として蝦夷地南岸へ出発します。この出発は、当初は個人の事業に近い形でしたが、1804年に江戸で地図を上覧して以降、測量は幕府公式の事業として認められていきます。
ここから1816年までの17年で、忠敬たちは全国を10次にわたって測量します。第一次・蝦夷地から、東日本太平洋岸、東北日本海岸、東海・北陸、近畿・中国、四国、九州(2回)、伊豆七島、最後に江戸府内まで。歩いた総距離は約4万km、地球一周分にほぼ匹敵します。
第4期:編集の時代(1816–1818、71歳〜73歳)
1816年に第十次測量を終えて、忠敬は江戸へ戻ります。残りの時間は、各回の測量記録を地図として編集する作業に充てられました。1818年、地図の完成を見ないまま、73歳で江戸で亡くなります。
第5期:弟子たちが完成させる時代(1818–1821、没後3年)
ここが伊能忠敬の物語の独特なところです。忠敬の死はしばらく伏せられ、弟子たちが地図の編集作業を続行します。1821年、忠敬の死から3年後、ついに 大日本沿海輿地全図 が完成し、幕府へ上呈されました。
つまり伊能図は、忠敬一人の作品ではなく、忠敬を中心にしながらも、最後は弟子たちが渡し切った仕事です。年表の終わり方として、これはかなり示唆的です。
何歳のとき何をしたか(早見表)
| 年齢 | 主な出来事 |
|---|---|
| 17歳 | 佐原の伊能家へ婿養子に入る |
| 38歳 | 天明の大飢饉で困窮者に米を配る |
| 50歳 | 家督を譲って江戸へ出る・高橋至時に弟子入り |
| 55歳 | 第一次測量(蝦夷地南岸) |
| 59歳 | 地図を江戸で上覧、幕府公式の事業に |
| 71歳 | 第十次測量を終え全国測量完了 |
| 73歳 | 江戸で死去 |
| (没後3年) | 大日本沿海輿地全図が完成 |
よくある質問
伊能忠敬は何年生まれで何年に亡くなったの?
1745年(延享2年)に上総国山辺郡小関村で生まれ、1818年(文政元年)に江戸で亡くなりました。享年73です。
伊能忠敬は何歳で家業を譲ったの?
50歳(1795年)で家督を養子の景敬に譲り、佐原を離れて江戸へ出て、天文学者の高橋至時に弟子入りしました。
伊能忠敬は何歳で第一次測量に出たの?
55歳(1800年)です。蝦夷地の測量を皮切りに、その後17年で全国を10次にわたって測量することになります。
大日本沿海輿地全図はいつ完成したの?
1821年(文政4年)です。1818年に忠敬が亡くなったあと、弟子たちが作業を引き継ぎ、死後3年で幕府へ上呈されました。
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